雑記保管所

後から見直す用、たぶんすぐに飽きる

二度目の幕張を終え

 90日以上更新のないブログに表示されるアレが出る程度には更新していなかったらしい。本当は名古屋公演の後にも感想文という体の駄文を書くつもりだったがなあなあで流れてしまった。

 

 

 

現地時との違い(自身の環境)

  さて、そんな長い時間が経つと周りの環境も色々と変わるものである。気が付けば、現地で見た幕張DAY.2もアンコール上映される時期になっていた。とりあえず、9月から体感2カ月も経った気がしない、あまりにも時間が経つのが早すぎる。もう死ぬのかもしれない。

 

 今回は現地時と違い目立った葛藤はなかったので、大きく前回と異なった点だけ振り返りたいと思う。

 

 まず、現地参戦時に比べて曲への理解度が深まったという点。純粋に聞いた回数が数か月分増えているのだから当然といえば当然かもしれないが、やはり曲を知っているかいないかでは楽しみ方にも差が出てくると感じた。

 

 二点目、これが今回最も大事なことである。私が新規の人間をライブに誘ったという事。もちろん、何のきっかけもなく誘ったわけではない。久々にカラオケに行く機会があり、おねシンを歌ったところ興味を持っていただいたという経緯がある。ざっくり説明してる中で1月上旬にライブがあるんだよという話をしたら、行ってみたいとのことだったのでチケットを連番で申し込んだ。

 

 

 時期が年末年始近くであったという事もあり、その友人とは何度かカラオケに行く機会があった。事前に好きそうな曲を聴いておきCDを貸したり、幕張の曲を告げずにさりげなく歌うなど色々と刷り込み作業をした。もしかしたら、その場のノリで来ると言っただけかもしれない、冷静になったらやっぱりやめると思うかもしれない。だからコミケ最終日の打ち上げカラオケ時に何度目になるか分からない、二次元コンテンツの境目をある意味越えていると言える声優が出てくるリアルライブが肌に合うかどうかなどの確認をしながら、一日目のチケット代金を受け取り支払いを完了させた。私は良き友人である彼に後悔だけは絶対にして欲しくなかった、もし私が彼の立場であったなら「コイツは本当は来てほしくないんじゃないか」と勘繰る程度には何度も確認をした。本当に良いのか後悔しないのかと。行くことが確実になってから、サイゲの6thメモリアルライブの動画などがようつべに転がっていたので、雰囲気を見てもらうために投げつけた記憶がある。後はおねシンのコールガイドも投げつけた。

 

 自分がちょうど一年前に同じような状態でライビュに誘われたが曲は殆どわからなかった、おねシンすら全くコールを知らなかった。私は自分以外が同じ状況であったら、果たしてのめり込むのだろうかと当時から疑問に思っていた。だから、私はできる限り彼が初ライブを楽しむことができるように尽力した。新規の参入はコンテンツにとって不可欠、いやアホ仲間を増やす機会は貴重なのだから逃したくない。ちょうど、幕張の公演はコール曲もわかりやすくノりやすい、仕込みやすいので運が良かったかもしれない。

 

現地時との違い(公演中)

 まず曲目を知っていることから来る余裕と準備があった。そもそも、以前と比べて知っている曲も増えたので曲目を知らなくても、見所などが分かるようになっていたかもしれない。私は一日目をリアルタイムで見ていなかったので、前半のセトリは予習なしのワクワク感を楽しむことにしていた。後半に関しては2日目現地の記憶が未だに色濃く残っており、流れが予想できる(回避不可能)形ではあった。また、私としては一日目前半の見どころは「あんずのうた」だった。一日目、二日目がチケットの関係で異なっていたのだが、一日目は一番後ろの席であったことに加えて観客に座って眺めるタイプが多く、あまりコールガンガンオタク棒ブンブンで盛り上がっているという感じではなかった。しかし、あんずのうたのコールはよく聞こえたように感じられた。また、現地のリアルタイム時は平日であり、曲中のコールが切実なものになっていたのかもしれないなぁと感じた次第だった。私も働きたくないので全力コールマンになった。他にも色々あったが、「楽園」が強い。私は関ちゃんPではないが、柚と同期組である事から思い入れ(?)のある子の一人であり、初披露の時の映像を思い出すと成長の跡が見えエモ散らかしてしまった。そもそも曲が良すぎる問題。後も色々あったが、やはりラストスパートのセトリが強すぎる、TAKAMARIは分かっていても高まってしまう。というか半分泣きメロと化してしまった。もちろん高まりまくったのだが、現地と比べると当然ながら物足りない。現地と比べるのはおかしいが静かすぎると感じた一日目だった。なお、初となる友人は明日はもっと声上げるぞと意気込んでいた。もう堕ちたんじゃないかな?ちょろいな

 

 

 二日目だが、最初のvast worldの段階で現地との違いを感じた。モニターに役者が映るのがワンテンポ遅く、歓声が上がるのもそれに応じていた。ちなみに、二日目は大分盛り上がっていたように思う。初手のLet's goから既にそれが伺えた。もちろん座って見る勢もいたが、私はもう座る側には戻れなくなってしまった。また、挨拶時の新婚3連続でおめでとうの声が上がるのは笑ってしまった。そこからは、多少の違いはあれど一日目と同じ感じであった。ただ、小さな恋の密室事件に関しては現地時に照明の演出などにとても魅力を感じたので、ライビュだとそれが殆ど映っていないのが残念だと感じた。逆にCメロの囁きパートなどはじっくり見れて良かった。BD、1カメ2カメみたいな感じでアングル切り替えできないかな…?難しいわな。その後はまあ昨日と同じ感じであったが、やっぱりラストスパートは死ぬ。死は避けられない。何より二日目は現地の衝撃もフラッシュバックしてきて無理、半分どころか全部泣きメロと化した。全く同じセトリを経験するのは3回目のはずなのに狂ったように声をあげてしまった。また、現地時はアンコールでTrue colorsが歌われたという事実でいっぱいいっぱいになってしまって記憶が飛んでいたが、曲の序盤で柚がメッセージを述べていた。予想外の所から不意打ちされて死んだ。ついでに曲もやっぱりエモすぎて死んだ。その後の挨拶でも死んだ。当たり前だけど死んだ。言う事分かってるのに死んだ。100%やれてますの下りは本当にズル過ぎる。思い出すだけでも死にそうになってしまう。最後のおねシンまでやりきる余裕がなくなってしまった。二回目なのに。友人は「もう一回」のところで全力を出し切ったと満足気であった。本当に良かった。

 

 

 冷静に振り返ろうと思っていたが、後半になるにつれて余裕がなくなり文章も感情もめちゃくちゃになってしまった。やっぱり9月同様、柚を応援してきてよかったという気持ち。

 

ところで推しって何?

 以前、柚をなんとなく推し始め知っていく中でシンパシーのようなものを感じていったという事を書いた気がするが冷静に考えて、二次元は手が届かない。以前は推すようになったきっかけについて考えていたが、最近は決して交わりえない、文字通り別次元の二次元キャラクターを推すとは何なのかという事について色々考えている。一番てっとりばやく考えると、キャラクターの中の人を推すという事になるのかもしれないが、それはそれで何かが違うような気がする。わざわざ見出しまで分けたが、私は特にこの問題に対して深刻に考えているわけではない。しかし、ある程度の答えを自分の中で見つけることができた。これは二次元のある意味「モノ」であるキャラクターに対して「ヒト」と同じつまり命があるものという認識をしたからではないのか。推しのキャラクターの魅力を聞かれた際、殆どの回答が人間に対して用いるであろう評価と一致していると感じる。これはキャラクターを人間とみなしていなければ起こりえない。自分やオタクコンテンツに漬かる人間にしてみれば、当然で無意識の認識であるが、外から見ると理解不能な認識なのかもしれないと思うこともある。純粋無機物に欲情する人間を私は理解できないので。

 

 

 この認識は一種のアニミズムではないかなぁと考えている。つまり私は推しに対し「二次元キャラクターの絵」を依り代として魂が宿った人間という認識をしているのだ。無意識のうちに。

 

 

 色々書いたが普通にコンテンツを楽しむのに必要なのは、二次元三次元とか特に気にしなくてよくね、良いから推す(語彙)という心意気だけだと思う。実際、暇で物思いにふける時以外は私もそういったスタンスでいる。これは思考の書きなぐりで考察ですらない。いつか見直す時に参考程度にしたい。

 

 

 あ、11月末の柚SSRめっちゃ良かったです。ホーム画面見るだけで嗚咽が止まらなくなります。ありがとうございました。

 

 

 

段々文章の整合性を見直そうという気持ちも無くなっていくし、物書きを普段からしている人はすごいなぁと感じる。

 

 

大阪公演も頑張ろうな。

 

 

気が向いたら文章修正します。 おわり